第11章 中立説
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進化は避けられない
タンパク質のアミノ酸配列やDNAの塩基配列が調べられるようになると、これらの分子の進化には、自然選択よりも遺伝的浮動のほうが強く働いていることがわかってきた
分子進化の中立説(中立進化説)
木村資生は1968年に「分子レベルの進化的変化の大部分は、自然選択的に中立またはほぼ中立な突然変異を起こした遺伝子の、遺伝的浮動によって起こる」という説を主張した
中立説が正しいこと、つまり現実にうまく合っていることは、進化速度や多形のデータからみて疑いない
自然選択による進化よりも、偶然による進化の方が多いなんて本当だろうか
地球のすべての生物は細胞でできており、単細胞生物と多細胞生物に分けられる
単細胞生物の大きな特徴は無限に細胞分裂できること
多細胞生物も基本的には同じ
多細胞生物には体細胞と生殖細胞の2種類
体細胞は使い捨ての細胞
生殖細胞は子孫に受け継がれて無限に分裂していく
多細胞生物の進化を考えるときに重要なのは、生殖細胞
体細胞に突然変異が起きても、子孫に受け継がれないので、進化には関係ない
進化に関係するためには、突然変異は生殖細胞に起きなくてはいけない
細胞分裂をするたびにDNAはコピーされて2倍になる
DNAは約40億年間コピーされ続けてきた
コピーにはミスがつきもの
生物はどうあがこうと進化してしまう
自然選択の監視はゆるい
残念ながら自然選択はそんなに働き者ではない
突然変異に自然選択が働くこともあるけれど、働かないことも結構ある
たとえば、それぞれの夫婦が子供を二人作り、人口が一定している場合
この場合はどんなに有益で素晴らしい突然変異が起きても、自然選択は働かない
子供が二人では過剰繁殖ではないからだ
また、2つの対立遺伝子が顕性(優性)と潜性(劣性)の関係にある場合、ヘテロ接合をすれば潜性遺伝子が自然選択の目を逃れる
たとえ突然変異が見つかっても、自然選択が働かないこともよくある
自然選択は悪いものを除くのは得意だが、良いものを増やすのは苦手
安定化選択は多いが、方向性選択は少ないということ
非常に有害な突然変異
生きていけないため直ちに除かれる
非常に有益な突然変異
自然選択が働くとは限らない
自然選択が働く突然変異は唯一つ、子どもの数を変化させる突然変異だけ
長生きしても子どもの数に変わりがないなら、長生きをする突然変異に自然選択は働かない
もともと子供をたくさん産まない生物には自然選択はあまり強く働かないことになる
ヒトやゾウに働く自然選択は、それほど強いものではない
さらに言えば、遺伝子はたくさんある
ヒトでは約2万2000個
遺伝子でない部分のDNAにも突然変異は起こる
もし多くの突然変異が起きても、それぞれの突然変異ごとに自然選択が働くわけではない
自然選択は個体、つまりゲノム全体に働く
風が吹けば飛んでしまう
突然変異が起きても自然選択はそれを見つけられないかもしれない
たとえ見つけても自然選択はあまり働かないかもしれない
そして自然選択がきちんと働いても、それより強い風が吹けば、自然選択など吹っ飛んでしまう
遺伝的浮動が強くなるケースはいくつかある
集団が小さい時
個体数は多くても、その中で集団が分散・孤立していれば、やはり遺伝的浮動は強くなる
自然選択はどちらかというと生物の形態に作用することが多く、タンパク質やDNAなどの分子に作用することは(あるけれど形態よりは)少ない
色々考えてみると、自然選択による進化より遺伝的浮動による進化の方が多くても、おかしくはないようだ
分子の進化速度は一定か
中立説における最も有名な方程式$ k = v
科学においては簡単な結果ほど素晴らしいので、その意味でこれほど素晴らしい結果はないといえる
$ kは中立な突然変異が集団に固定する世代あたりの割合で、簡単に言えば進化速度
$ vは中立な突然変異が起きる配偶子(卵や精子)1世代あたりの割合で、簡単に言えば突然変異率
つまり中立な突然変異に関しては、進化速度は突然変異率に等しい
したがって、もしも突然変異がすべて中立で、かつ突然変異率が一定ならば、進化速度は一定になる
もしもDNAやタンパク質の進化速度が一定ならば、DNAの塩基やタンパク質のアミノ酸がどのくらい変化したかを調べれば、どのくらい時間が経ったのかを見積もることができる
つまりDNAやタンパク質を時計として使うことができる
分子時計
DNAやタンパク質の進化速度の一定性
ただし、この2つの仮定(突然変異がすべて中立で、突然変異率が一定)が完全に成り立つケースは、ほとんどないと考えられる
突然変異を単純化して3つに分けてみる
有益な突然変異
すでに生物の体はかなりうまくできているので、突然変異が起きたからと言って、それ以上よくなることはほとんどない
したがって、ほとんど起こらない
有害な突然変異
しばしば起こる
生存にも繁殖にも不利なのでたいてい集団から消えていく
中立な突然変異
そのため、子孫に残るような突然変異としては中立なものが多くなる
中立な突然変異には自然選択は働かないが、遺伝的浮動は働く
そこで、分子レベルの進化的変化の大部分は、自然選択に中立またはほぼ中立な突然変異となる
この議論は基本的には正しい
しかし単純化しているので、現実にぴったり合っているわけではない
中立と思われる突然変異
非同義置換
DNAの塩基が一つ置換されると、作られるタンパク質のアミノ酸が変化する場合
同義置換
DNAの塩基が一つ置換されると、作られるタンパク質のアミノ酸が変化しない場合
したがって、突然変異が同義置換の場合は完全に中立な変化のような気がする
DNAからRNAを介してタンパク質が作られるときには、DNAの3つの塩基がタンパク質の一つのアミノ酸に対応する
たとえば、AGTとAGCには両方ともセリンというアミノ酸が対応している
AGTの最後がCになっても作られるタンパク質に変化はない
ところが、よく考えてみると、AGTやAGCとセリンを結びつけているのはトランスファーRNAである
もしAGTとセリンを結びつけるトランスファーRNAはたくさんあるが、AGCとセリンを結びつけるトランスファーRNAが少なければ、このTからCへの変化によって、タンパク質の合成速度は下がってしまう
したがって、一見中立に見える同義置換でも完全に中立ではないだろう
つまり、完全に中立な突然変異はほとんどないということだ
もちろん木村はこういった事情も理解していたので「中立あるいはほぼ中立」という言い方をよくしている
有益な突然変異
外から侵入してきたバクテリアなどを撃退するために私達は抗体というタンパク質を持っている
バクテリアはタンパク質分解酵素で、この抗体のヒンジ領域という部分を攻撃してくる
このヒンジ領域のアミノ酸配列を変化させると、バクテリアはこの部分を認識できなくなり攻撃が止まる
だがしばらくすると、バクテリアの方も進化して、再びヒンジ領域を認識できるようになり、攻撃が再開される
私達にとっては、どのようにアミノ酸が変化しても、変化しないよりは有益
この場合は例外的に、中立や有害な突然変異よりも、有益な突然変異が多いことが知られている
ちなみに抗体のヒンジ領域では、同義置換よりも非同義置換のほうが多いことが知られている
分子時計が一定であるためには、突然変異がすべて中立で、突然変異率が一定であることが必要だ
確かに分子レベルの進化的変化では、中立な突然変異が多いかもしれない
しかし上記の2つの例からわかるように、突然変異が完全に中立ということはほとんどなさそうだし、場合によっては中立より有益な突然変異が多いこともある
突然変異率だっていつも一定というわけではないだろう
したがって、分子時計の一定製の条件はかなり大雑把ににしか満たされていない
だから、DNAやタンパク質の進化速度は、時計と呼べるほど正確なものではない
しかしそれをわかったうえで、進化における大雑把な時間の目安として使うなら、分子時計は役立つ手法である
自然選択と遺伝的浮動は進化という車の両輪
空を飛ぶ翼は感嘆すべきものだが、それを作れるのは自然選択だけ
一方で自然選択では説明できないこともたくさんある
生物は自然選択よりも遺伝的浮動によって進化する場合が多いのだ
偶然も重要
→第12章 今西進化論